初めまして、催眠術師のリュウです。
千葉県我孫子市在住、2人の娘をもつカレー大好きのお父さんです。
私が本格的に催眠術師として活動を始めたのは令和6年からとなります。
それ以前までは整体師として、約25年間、治療に明け暮れていました。
そのうち、最後の5年間は催眠療法を取り入れた治療もしていました。
なぜ25年間という長い年月を費やして磨きあがてきた整体の技術を手放して、45歳にして本格的に催眠術師として始めようとしたのか…
それは、私がずっと求め続けてきた「前向き」へと人々を進ませてくれる術だったからです。
整体師としての大きな悩み
私は、20歳になったころから、師匠のところで整体の技術を学び、その後、3年間をその師匠と一緒に勤めさせて頂きました。
私が整体師を始めたころは、今のような「ストレスが多くて体の調子が…」というものよりも
- 足をひねって痛めた…
- 重たいものを運ぶ作業をしていたら腰が痛くなった…
- 以前に寝違えたところがいつまでたってもよくならない…
といったような、
「体を使いすぎて痛めてしまった。」
「痛みのせいで家事や仕事に支障があるから早くなおしたい。」
「痛めたところが病院に通っていてもいつまでもよくならない。」
こういった要望が大半で、整体は保険適用外で高いお金がかかったとしても、それでも早く体を良くしたいような人が利用するのが一般的でした。
それが時代が進むにつつれて、心の悩みや負担、日常におけるストレスやプレッシャーといった精神的な問題が原因としておこる、いわゆる、自律神経失調症と言われるような不調に悩まされる人が増えてきました。
こういったストレスが原因として発症している体の不調は、整体によってその時は体を楽になったとしても、また、日常生活で受けてしまう精神的なストレスやプレッシャーによって、同じように体の不調を起こすのは当たり前の話です。
そんなストレスを抱えたお客さんにに対して、一時しのぎにしかならない「整体」の効果に納得はできませんでしたが、自分のできる領分としては「体を整えること」と割り切ってやるようにしていました。
そんな時、私にとって身につまされる出来事が立て続けに起こりました。
それは、よく通ってくれていた仲の良いお客さん達が、精神的に病んでしまい、会社を辞めたり、精神科に通院してしまうといった「状態が悪化」してしまう出来事がポロポロと起きはじめたのです。
どのお客さんも、いつもなら週○回来るとか、月に△回来てくれるといった人達が、突然、しばらく来なくなってしまい、
久しぶりに、お店に顔を出したかと思って、お話をきいてみますと、
突然、体に重い何かしらの不調をきたしてしまい、病院に行けば、「精神的な病」を指摘されたというものでした。
それによって仕事を辞めたり、休職、通院などを余儀なくされている事を告げられる…
そのような事が頻繁におこりました。
そうなってから、私はようやく自分の間違いに気が付きました…
結局、私の「整体」がかえってお客さんのことを追い詰めていたことに。
私が良かれと思って「整体」で楽にしていたことが、精神的な我慢の限界が来るまでストレスを受ける所へと行き続けることになってしまい、結果的に、最悪の状態でストレスを回避する結末を迎えてしまうといった状況を私が作ってしまっていた訳です。
そんな悪い流れへと引き込んでしまった「元凶」でもある私の下へ、また好意をもって来てくれるお客さんをみたら、もう、体を整えているだけではダメだという事を思い知らされました。
それからというもの、私はこの「ストレス」に対する対処法をずっと模索しました。
カウンセリング術、気功、フラワーエッセンス、レイキ、様々なスピリチュアルな事だったり、宗教的なものなど、ジャンルを問わず色々と手あたり次第「整体」として取り込んでやっていました。
ですから「整体」といっても押したり、揉んだり、骨の調整をバキバキとやることも、ソフトなことも、あるいはイメージを使った調整だったり、気功で触らないで調整したりと…
今思えば何でもやってしまうような滅茶苦茶な状態でした。(笑)
それだけ、ストレスの受け方、感じ方というのは人それぞれ違うものなので、状態に合わせてやり方を変えて対応するといった、まったく一貫性のないものでした。
そうやって決め手にかけながらも、興味の沸いた新しい施術方法をみつければ、すぐにその講習や教材を購入するといったように、なかば路頭に迷っている状態を30代後半までずっと続けていました。
そのような状況で、たまたま手にした教材で運命的な出会いをしたのが「催眠術」「催眠療法」だったのです。
今まで20年以上もやってきたなかで、「ストレスの対処法」として滅茶苦茶に取り入れてきた整体の集大成として、現在の「催眠術」にした理由はとても単純でした。
それは、よりシンプルに私が今まで勉強をした手段よりもストレスの対処法として、精神的に悩む人を「前向き」へと変えられるものだったからです。
それは、本人が抱える悩みやストレスに対して「頑張る」とか「努力」といった負担を強いることなく
(精神的な問題を抱える人に「努力」や「頑張る」は意味をなさないのは周知の事実として)
導くことができるからです。
その具体的な解説として、このサイトの
「催眠術が初めての方へ」
「催眠術の秘密」
を見て頂けたらと思います。
決して、下心があって催眠術を始めた訳ではありませんのであしからず(笑)
実は下心があってはじめたのは整体でした(笑)
私が「これだ!」と思って始めた催眠術とは、テレビで観るようなエンターテイメントとして行う「ショー催眠」ではなくて、精神や肉体の癒しや治療を目的として行う「催眠療法」になります。
私がそういった、人を癒す「整体」や「催眠療法」といった治療業界に興味をもったのは、最初はものすごく不純な動機によるものでした。
それは…
「整体師になったら、夏は涼しく、冬は暖かいエアコンの効いた快適な部屋中で、人から「先生」と呼ばれ、お願いをされてながら仕事できる。」
といった、「優越感」と「快適な環境」の中で仕事ができるという甘い考えでした。
それは、たまたま自宅の新聞広告に入っていた「整体師生徒募集」の案内を目にした瞬間に、このことが頭の中を駆け回り、いったい整体がどういうものなのかもさっぱり分からないまま応募したのをよく覚えています。
しかし、そのような思いも、実際に整体の技術を習い、師匠のもとで働かせてもらうときには完全に消え失せていました。
それは、当時の整体といえば、数百円で受けられる保険医療とは違って、実費による整体の施術に期待されるのは、
- 病院に通っていてもなかなか良くならない
- ぎっくり腰といった生活や仕事に支障がでている状態を少しでも楽にしたい
といった、結果を求める要望が強くて、正直、それは私にとっては凄いプレッシャーでした。
たまたま、私に整体を教えてくれた師匠は、近所の整形外科の看護師さんが自分のところに来た重度の患者さんに
「あそこの整体院に行った方が治るよ。」
と耳打ちするほど腕が確かな師匠で、しかも面倒見もよい人だったので、私の不手際があった際には、きちんとフォローをしてもらえたりと、本当にお世話になった恩師でした。
そのおかげで何とか一人前になるまで頑張って続けられました。
そんな一流の技術を持つ師匠が、話した会話で忘れられない言葉がありました、
それが…
「体を管理しているのは脳だから、その脳をいじくれたら治すのがもっと楽なのになぁ。」
との何気ない会話でした。
私はその言葉に、
「確かに、脳から体を治してもらえるのなら、わざわざ体を触る必要もないなぁ…。」
と妙に納得をしてしまい、ずっとそれが頭の中に残っていました。
後々、路頭に迷いながらもずっと滅茶苦茶な整体を続けながら模索していた30代の半ばに、たまたま手にした教材に中にあったのが催眠術でした。
その内容をみた時に、まさしく
「これこそ、あの時に師匠が言っていたことだ!」
と師匠が求めていたものと、私の求めていた解決手段とが、一致していたことに運命の出会いを感じるものがありました。
整体を支えたのは子供の時の理不尽な思い出から…
私の両親は魚屋を経営していたので、私は保育園に預けられていました。
その保育園の生活では、私は何も悪いことをしていないのに、なぜか2人の同級生のうち特にその1人から、いつも叩かれたり、ぶたれたりして、よく泣かされていました。
一方的にただ叩かれたりすることに対して、先生に注意してもらおうと言いよっても、いつものことだと相手にされず、子供ながらに
「自分は何も悪いことはしていないのに…」
と、理不尽な思いをずっとしていました。
とにかく、保育園に行くのが嫌で、家に帰ってきてそのことを伝えようにも両親は忙しく、片手間でかまってもらうような感じだったので、ただただ毎日が「つまらない」と感じる日々でした。
そんな保育園や小学校に「まだ子供だから」との理由で強制的に行かなくてはならないことに対して、
「はやく大人なって、自由になりたい…」
とばかり思ってた子供時代でした。
そんな「つまらない」生活も、小学校で部活ができる学年になったときには、兄の影響で器械体操をやりはじめたことで気持ちが「前向き」になりました。
そして中学、高校とレスリング部に所属して、そのおかげで学校の勉強は大嫌いでしたが、国体、インターハイに出場できるぐらいまで学生生活を楽しむことができました。
そのような経験があったからこそ、整体を始めたきっかけは不純なものでしかありませんでしたが、いざ、実際に痛みや痺れなどの体の不調によって、どうにもならなくて困っているお客さんと目の当たりにすると、
子供の時に「どうにもならないこと」で、ただ耐えるしかなかった、あのときの自分のように思えたのだと思います。
特に体が不自由となってしまい、それによって人生が「つまらない(楽しめない)」となっている人に出会うと、ものすごく悲しい気持ちになってしまいます。
私自身が「つまらない」生活が部活によって「前向き」になれたように、私の整体によってお客さんが「前向き」に少しでもなってもらえるならばと思えたからこそ、今までやり続けてくることができたかと思います。
しかし、その思いが見事に打ち砕かれたのが、30代過ぎてからの「ストレス」からくる不調に対して、私の「整体」が返ってお客さんの精神を追い詰めていた出来事だったわけです。
催眠術との出会い
路頭に迷いつつ無茶苦茶な整体を続けながら模索していた30代の半ばに、たまたま手にした教材のDVDで「催眠術」に出会いました。
そこには鍼灸師でありながら整体を行っている先生で、このようなお話をしていました。
「近年、ストレスやプレッシャーによる精神的な悩みだったり、それによって自律神経失調症といった体の不調、あるいは、うつや統合失調症といったような心や精神の病気に対して、鍼灸や整体、あるいはマッサージで体にアプローチをしてもなかなか良くなるものではありません。
そこで、催眠術を使って脳に働きかけることで、ストレスやプレッシャーをブロックしたり、あるいは、精神の病で悩む人たちにかなりの効果を出すことができます。」
と、まさに私の求めていた通りの事を話していて、ものすごく興奮したことを今でもよく覚えています。
さっそく、独学ではありましたが、仲の良い患者さんの協力のもと、40代へと年齢を重ねたころには、「催眠療法」として、整体とは別のメニューとして行うまでになりました。
もちろん、良くなる人もいれば、そうでない人もいますが、自分でも催眠療法をやりながら、
「え!?(あれで)本当によくなったの?」
と思ってしまうほど、今までまったく太刀打ちできなかった症状が良くなったりと、素晴らしい成果を実感することが多かったのは事実です。
私の中では、これからは「催眠術」の時代がやってくるとの確信がありました。
それは、催眠術によって脳に癒しがもたらされることで、肉体や感覚、感情、意識に「平安」がおとづれて、抱えてい問題や悩みが改善されることで、
「前向き」に生活できるようになって、その「前向き」になったお客さんと関わるまわりの全ての人たちも、一緒になって「幸せ」になって行くことができるからです。
ただ、そのためには「整体」という長年続けていた看板が「催眠療法」を行うための妨げとなってしまいました。
整体師として行う催眠療法の悩み
私の中では「催眠療法」に価値を見いだしていたとしても、「整体院」としてお店を出している以上は、整体を受けることを目的としてくる人がほとんどです。
だからと言って、催眠療法をお勧めする案内や広告を掲げたとしても、「催眠」との言葉に「怖い」「あやしい」といった先入観が強いのもあって、ほとんど選ばれないのが現状でした。
それに催眠療法を行うときには、静かな部屋で、お客さんが集中できるように電話の音やバックミュージックとかにも気を配りながら、じっくりと時間をかけて「催眠」を行っていました。
そのため、一人にかかる時間が長いため、とても効率が悪いものでした。
催眠療法が素晴らしい手段だと確信をしていても、そうやって手間ひまをかけて行わなければならないわずらわしさもあってか、
お客さんに催眠療法をお勧めをしたときに少しでも相手から拒否反応があると、すぐに引き下がってしまう弱い自分にずっと嫌気を感じていました。
催眠術、催眠療法がメジャーになれば
「このままではダメだ!」
と思って、静かな環境で行うのが当たり前だと思っていた「催眠療法」からすれば、テレビでみる「ショー催眠」では、ガヤガヤとした大勢の前で、しかも短時間で催眠術にかけられるのが不思議でなりませんでした。
まずはそこから「催眠術」とは一体どういうものなのかを、独学ではなくきちんと講師の下について一から勉強をやり直そうと考えました。
その時には40歳を過ぎていて、整体に対する情熱も薄れていたこともあって、一緒に働いていた人とも徐々に険悪な雰囲気となって行き、そのプレッシャーから逃げるような形で長年勤めてきた整体院を離れました。
もともと、私の中では、ずっと整体師としての看板が催眠術を行う上で、失敗した時の逃げ道としてあったので、本気で「催眠術」に打ち込むために、何か大きな力に誘われたのだと感じました。
それから、私は催眠術スクールSSOで学び直し、新たに催眠術のすばらしさを再認識したことで、今現在、このような活動を行っている訳です。
私がこれから先、「催眠術」によって目指しているものは、
- 催眠術に対する偏見の払拭
- 催眠術を気軽に受けられる環境づくり
- 多くの人がストレス、プレッシャーから解放されて、自分らしく「前向き」に社会生活を楽しめる
(自殺率の低下)(精神疾患による働けない人の解消) - 安定した心が増えることで、不安定となっている人たちを気遣える人々が地域や社会、そして世界にも広がり、争いのない平和な世界がやってくる。
そのためにも、日々、活動を続けていきます。