ストリート催眠術をやっていると、当然、すぐに催眠術にかかる人もいれば、うんともすんとも言わない人もいます。
言い訳になってしまうかも知れませんが、本来なら、静かな薄暗い部屋で、
ゆったりと横になってもらって、それこそ「さざ波の音」でも聴いてもらいながら、ジックリ、やんわり、ネチネチネチネチネチネチネチネチと誘導したいところではあります。
(何だかイヤらしい感じにも聞こえますが…)
そういった、条件が良いとか悪いとかは、
相手にはな~んも関係がない
訳ですから、催眠術にかからなかった時には、実はこんな秘策があったのです。
言葉すべてに暗示が入ってしまう
これが面白いと思えば面白いし、怖いと言えば怖いのですが、例えば、催眠術にかからなかった人に
「あなたは催眠術にかからない人なんですね。」
と、言ってしまうと、相手は
「そういうものなんだ。」
ということで、意識に刷り込まれてしまいます。
そして、もしも、催眠術を何かでみたり聞いたりしたときに、その人の中でこの出来事が思い出されて、その思いがドンドンと膨れ上がったら、
「催眠術にかからなくて当たり前」
となってしまう訳です。
そうなることで
「催眠術にかからない催眠」
が入ってしまうのです。
だから、失敗をしたときこそ、次こそ、催眠術で楽しんでもらえるように
「催眠術はゲームと一緒で、やればやるほど上手くかかることができて、不思議な体験ができるようになりますよ。」
と、次に期待を持たせる別れ方をします。
そうする事で、催眠術に対して、そして、何より自分ができなかったというネガティブな否定的なエネルギーに落ちることがなくなるのです。
できない、上手くいかない、失敗したの暗示は強い
もしかしたら、
「たかが催眠術にかからなかったぐらいで…」
と思うかも知れません。
しかし、これを教育の現場に置き換えて考えると、
「否定の暗示」
は、ものすごく潜在意識に残りやすいのです。
「勉強ができない」
「運動ができない」
といった経験は誰にでもあると思います。
そこをチョイチョイ「できない、できない」と指摘されるようなことがあるとだんだんと、
「自分はそういう人間なんだ。」
と、苦手意識として刷り込まれていきます。
そうなると、言われた本人は無意識に勉強や運動を避けるようになってしまい、様々な可能性がいつの間にか潰されて行きます。
これが大げさのように聞こえるかも知れませんが、実は世の中は潰しあいで渦巻いていると言っても過言ではないのです。
(゚∀゚)
自分より他人はできないでほしいと思ってしまう…
だいたいの人は、相手のいいところよりも悪いところのほうが目につきますね。
それが良いとか悪いとかというのではなく、
「そういうもの」
なのです。
なぜなら、多くの人は自尊心を高めてもらいたいからなのです。
なので、相手のいいところを見つけるとなると、得てして、
「自分の自尊心を下げてしまうことなる」
と感覚的に感じてしまう場合が多いのです。
なので、相手の悪いところを見つけることで、
「自分の方が優位に立てる」
との自尊心が満たされるから、いいところを褒めるよりも、どちらかといえば、悪いところを指摘して注意したがってしまうものなのです。
だから、よく教育の教科書には、
「褒めて伸ばす」
と書いてあるのは、そのように教えてあげないと本能的に相手を注意して貶(おとし)める傾向になるからです。
そのようにして、人が集まれば、お互いが自尊心を高めたい、承認欲求を満たしたい同士ばかりだから、
「できない」「できるわけがない」
と、自分ができたこともないことでも、そうやって、自分の自尊心を下げないように守るのです。
人は否定されるものだと思えば催眠は入らない
できないことを肯定されたり、お前にはできないと否定されたとしても、
人はそうやって相手を貶めたがる生き物
とのフィルターを貼っていたら、めげることがなくなります。
特に年齢を重ねれば重ねるほどに「褒められる」事がなくなるのですよ。
と、いうことで、
「できなかったことを肯定する。」
「相手を否定する。」
というのは、いろいろな意味での相手の可能性を奪うことになるので、私、催眠術師リュウは、催眠術の効果がなかったとしても、可能性まで否定はしないのです。
これは「愛」なのです!

